「Be my baby」-03
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緩く握った手をジンの胸に置いて、一心不乱に眠りを貪るカイトを
見つめながら、ジンは思う。
‥‥こいつは女の体をまだ知らない。
ほんのガキの時分に俺の元に来て、それからは修行に
明け暮れる毎日だ。そしてやっと思春期にさしかかったと思ったら
俺がうっかり手を付けちまった。
俺は師匠で親代わり、兄貴代わり‥‥。
こいつが俺に求めているのはそんな愛情だ。
毎晩一緒に眠って、メシを食って、修行して。
そんな生活の延長でごく自然に俺に体を許したが、
そこに男としての意思は無かっただろう。
確かにあの夜、他の男と親しげにする俺に嫉妬して
一途な想いで誘うような表情を見せたが
それは母親を巡って男親に嫉妬するような
他愛の無い感情だったに違いない‥‥。
女の良さを知って‥‥それでもまだ今の方が良いというなら
それでもいいが、自分には選択肢があるってことに
気づかせなきゃいけない。
こいつが何も知らない事につけこんで、
手を付けちまった俺にはその義務がある。
「ん‥‥」
思わず背中に回した手に力が入り、カイトが声を漏らす。
その声に誘われるように手を緩め、顎をそっと持ち上げ
口付けようとするが、思いとどまる。
俺に抱かれて体が馴染んでしまえば、こいつはますます
女に興味を持てなくなる。
肉の快感と恋愛感情を取り違えて、まともな恋愛が出来なくなっちまう‥‥。
もう一度だけ、今夜だけ‥‥今夜こいつの全てを目に焼き付けたら
それで最後にしよう。そう思いながら、すでに数日が経っている。
いい加減に、しねぇとな‥‥。
柔らかい産毛に覆われていた雛鳥も、成長すれば鋭い嘴と爪を身につける。
女を組み敷くカイトの姿が目に浮かぶ。
その仕草は荒々しく男そのもので、揺れる金髪に凶暴な香りを発しながら。
ジンは掻き毟られる胸の痛みに歯を食いしばり
無理に眠りの淵へ自らを突き落とそうとする虚しい努力は
朝方まで続いた。
「今日もですか?」
「ん‥‥あぁ。スーパーってのは、中々面白いとこだって気づいてな」
「‥‥‥‥」
伸び盛りのカイトの食欲に食料の在庫はあっという間に底をつき
買出しに出かけようとするのに、またジンもついて来る聞いてカイトは目を瞬く。
本当はスーパーの後による店に用があるんだが‥‥。
しかし、言い出せない。
少しでも先延ばしにしたがっている女々しい自分が情けない。
「いいだろ、別に。荷物持ってやるんだし!」
自分への腹立たしさに、思わず八つ当たりぎみに言って後悔する。
「そりゃ俺は‥‥助かりますけど‥‥」
呟くカイトの顔は見ずに、ジンは先に立って家を出た。
「ほら、グズグズすんな。とっとと買え」
嫌なことは早く済ませたい。
ジンはカイトを堰き立たせて早々に店を出ると、家とは逆の方向に歩き出す。
「ジンさん?」
足早に歩くジンに遅れまいと、カイトは足を速めながら行き先を聞く。
「あぁ、ちょっとあそこに寄って行こうぜ」
ジンが顎でしゃくった先には『小塚家具』と大きな看板が掲げられた
大型の店舗が見える。
「家具屋で、何を?」
「うん、まぁ‥‥」
言葉を濁して店内に入ると、寝具売り場に直行する。
「どれがいい?」
「はぁ?」
事の展開についていけないカイトは素っ頓狂な声をだす。
「お前のベッドだよっ いつか買うって約束だっただろ。
まだ背が伸びてるようだから、このデカいのにするか。
全く図体ばっかりひゃろひょろデカくなりがやって‥‥。
いいよな?これで」
新しいベッドを買うだなんて、出会って間もないころの
何年も昔の話だが、こうでもしなきゃつい手を出しちまう。
「はぁ‥‥」
カイトが答えると、すぐに店員を呼び止める。
「これにする。届けてくれ」
「申し訳御座いません。こちらはただ今メーカーの方でも
在庫が切れておりまして‥‥」
見ると『展示品のみ』という札の下に予約済みとマジックで書かれている。
「しょうがねぇな。じゃ、こっちだ。いつ届く?」
もうカイトに聞くこともせずに隣に置かれたベッドに指を差す。
「お届けは3日後になります」
「そんなにかかんのか。まぁ‥‥なるべく急いで届けてくれ」
「かしこまりました」
カードを渡しながら、ちらりと目線だけでカイトを見ると
後ろに回したつま先をトントン床に打ちつけながら店内を眺めている。
その顔はちょっと物珍しそうなだけで、表立った感情は見られない。
少しくらい不満を言うかと思ったが‥‥。
ちょっと自惚れてたかな。
ジンはそれ以上考えないことにして、それからはお互い
口も利かずに家路についた。
「新しいベッドが来るなら、そこしか置き場はないですね」
荷物をドサリと食卓に置き、袋の中の食材を冷蔵庫に
移しながら、リビングの片隅を目線で差してカイトが言う。
テキパキと今日の夕食に使うものとストックするものとを
分けながら、余計なパッケージをはずして分別していく。
大して嬉しそうでもないが、その平静な様子にジンは
自分が言い出したこととはいえ苛立ちを抑えきれない。
カイトの手際よい作業を忌々しげに見つめながら
ダイニングの椅子に手をかけて、立ったまま答える。
「あぁ、そうだな。これでお互い、ゆっくり寝れるだろ」
「そうですね」
皮肉にあっさり答えられ、カッとなった。
思わず心を占めている事を遠まわしに口に出てしまう。
「なかなか可愛い娘だったよな」
「‥‥‥‥?」
「いやだから‥‥スーパーのレジの娘だよ」
心の中で舌打ちをする。
ゆっくりさりげなく自分からカイトを遠ざけるつもりだったのに
これじゃ実もフタも無い。
「あぁ‥‥そういうことだったんですか」
仕分けと共に夕食の下ごしらえも始めながら
ジンの顔も見ずに、冷めた声で答えるカイトに
今度はジンが怪訝な顔をする。
「そういうことって?」
「気に入った娘を見つけたんなら、そう言ってくれれば
今日は俺、遠慮したのに」
「いや‥‥そうじゃなくて‥‥」
慌てて否定しようとするが、カイトは聞く耳を持たない。
「おかしいと思ったんですよ。やたら買出しについて来たがるから。
でもジンさんらしくないですよ。とっとと声かけて
やっちまえばいいのに」
「‥なっ‥‥!!」
その斜っぱで投げやりな物言いに思わず声を荒立たせる。
お前をそんな子に、育てた覚えはなーーーいっ!!
じゃなくって、えーと‥‥
「何言ってんだよっ!!俺はお前の事を思ってだなぁっ‥‥!」
「俺の、こと‥‥?」
カイトが手を止め、不審げに問う。
こうなってしまっては仕方が無い。
「だから‥‥お前にどうかなって思ったんだよ。
別に店のレジの娘じゃなくってもいいんだが、お前も年頃だから‥‥」
俯いてボソボソと言い、カイトの顔がみるみる
紅潮するのにも気づかない。
「‥っきり、‥‥ば‥‥‥ねぇかっ‥‥!!」
「え‥‥?」
引きつった声に異変を感じ、ジンが顔を上げた瞬間
びしゃりと顔面に冷たい衝撃を受け、目の前が真っ白になる。
それは半開きだった口にも入り、思い切り咳き込む。
「うぇっ‥‥げほっっ‥‥なんだこりゃ‥って、
豆腐じゃねぇかっっ!!!
てめっ‥‥何すんだよっ!!」
見るとカイトは豆腐の汁に濡れた手を握り締め、わなわなと
肩を震わしている。
「俺がつまらないなら‥‥!!
飽きたんなら、ハッキリそう言えばいいじゃねぇかっ!!!
ベッドを別にしたり女を勧めたり、遠まわしにぐちゃぐちゃ
やりやがってっ!!!」
「おま‥‥何言って‥‥」
絶叫に近い声でまくし立てるカイトに
さすがのジンも動揺して声も出ない。
「分かってるよっ!!俺が悪いんだろ!?
分かってるさ‥‥!
俺がっ‥‥俺がガキで、退屈だから‥‥っ
ジンさんを、楽しませられないから‥‥!」
歯を食いしばった頬が歪み、蒼い瞳が波立ったかと思うと
雫が頬を伝った。
あーぁ‥‥泣かせちまった‥‥
思いもよらないカイトの言葉に呆然として
回らない頭でぼんやりとそんな事を考えるが
ふと我に返って一歩カイトに近づく。
「バカだな、お前‥‥」
そう呟きながら手を伸ばすが、カイトはその手を
ピシャリと跳ね除ける。そして
「もういいっっ!!」
叫ぶと、クルリと背中を向けて部屋を飛び出していく。
「あ、おいっ!!ちょっと待てって‥‥!」
慌てて後を追おうとするが、床に飛び散った豆腐の破片に
足を滑らせ、もんどり返って、したたか腰を打つ。
「‥‥ってー‥‥」
思わず呻いた瞬間、玄関のドアが
叩きつけられるように閉まる音を聞いた。
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