「Be my baby」-02
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それは思ったよりも手のかからなかったハントを終えて
帰宅した次の日だった。
仲間にグリードアイランドを訪れる約束をしてはいるが、
既に次の予定が入ってしまって当分暇はできそうもない。
偶然に空いた数日だけの休日。
仕事の間はお預けだった肌に隈なく触れて、容易く朱に染めてやった昨夜の
記憶を貪りながら、ジンは怠惰にソファでゴロ寝を決め込んでいた。
その日も暑かった。
深緑の木々に照りつけ、乱反射しながら踊りこむ陽の光とセミの声で
リビングは狂騒に満ちていた。
その中を、ハタハタと部屋を横切る涼しい足音を耳に楽しみ
薄目を開けて盗み見ると、年若い恋人はサイドボードの引き出しを
掻き回し、ガラスの小瓶を取り出した。
狂った日差しが強いほど、カイトが佇む部屋の隅はひんやり蒼く翳っている。
成長途中の柔らかな筋肉が薄く張り詰めた肩を緩いタンクトップから
剥き出しにして、無造作に前髪をかきあげると露わになった二の腕の
内側は青い血管が透けるほど白い。
ビンを傾け乳白の液が流れるのを手の平に掬い、腕、肩と擦り込む。
薄暗がりに白い手が蠢いて滑らかな肌を這い
それが首筋に届くとしどけなく首を傾げてうなじを見せる。
これで誘ってるつもりじゃないってんだから
嫌になる‥‥。
うだるような暑さと相まって、ジンは自分が欲情していることを
はっきりと自覚する。
体に籠もりつつある熱に耐え切れなくなり、口を開く。
「色気づいて、何塗ってんだよ?」
眠っていると思っていたジンの声に、カイトがぽっかりと振り返る。
肩越しに流した視線に更にそそられて、声をかけたことを後悔する。
しかしカイトはそんなジンの劣情には気づかぬ風に
ちょっと笑うと
「そんなんじゃないですよ。ただの日焼け止めです。
普通に焼ければいいんだけど、俺、真っ赤になっちゃって
ヒリヒリするから‥‥」
「ふぅん‥‥そんなにヤワなことじゃ、困っちまうな‥‥」
言いながら立ち上がり、背後から近づく。
「背中‥‥塗ってやろうか?」
低い声で囁いて手を伸ばす。
その細腰まで、あともう一寸‥‥
しかしカイトは、ツイと体を反転させてその場を離れ
「もう済みました」
あっさりと言う。
こいっつ‥‥分かってやってんじゃねぇだろな‥‥。
伸ばした手のやり場に困って髪をガシガシと掻く。
「‥‥どっか行くのかよ」
「買い出しに。何か食いたいものありますか」
食いたいものなら、目の前に。
「あー‥‥いや、特にないかな」
「そうですか。じゃあ行って来ます」
スタスタと部屋を横切り、ドアを開く。
「カイト、ちょっと待て」
「はい?」
「‥‥俺も行く」
カイトはキョトンとした目で、俺を見返してきた。
平日の午後。店は大勢の主婦で賑わっていた。
「ジンさんがスーパーなんて、珍しいですよね」
カートを押して左右の棚をまんべん無く見ながら
笑った顔のカイトが言う。
「そうかぁ‥‥?」
その横をブラブラと歩きながらジンが答える。
いいだけその気にさせといて、置き去りってのは無いんじゃねぇの?
まぁスーパーに付いて来たところで、何か嬉しいことが
起るわけじゃねぇだろが、せっかくの休日なんだし‥‥。
チラと隣を見るが、いつの間にかカイトの姿がない。
視線を巡らせると、『有機栽培野菜コーナー』と掲げられた
棚の前で、大ぶりの玉ねぎを1つ手に取って思案顔だ。
『栽培農家指定 完全無農薬玉ねぎ1個/128ジェニー』と書かれた
値札を凝視しているが、ジンが傍らに寄ると、その玉ねぎを棚に戻す。
次に小ぶりの玉ねぎが5つ入った袋を手に取る。こちらは
『インパラキ産 農薬50%カット玉ねぎ1袋(5ヶ)/198ジェニー』とある。
形の良い眉を微かに寄せ、熟考はなかなか終わる気配を見せない。
ジンは溜息をつく。
「そっちのデカい方。5個買え」
「でも‥‥」
「いいから!」
躊躇するカイトを押しのけ玉ねぎを鷲づかみにすると
ポイポイとカゴに放り込む。
「ああ、そんなにしたら傷んじゃいますよ!
それにこっちはデカいから、3個で十分‥‥」
「‥‥いいからっ!!」
金に不自由させた記憶はないんだがなぁ‥‥。
俺が稼いだ金を無駄にしたくないってことだろうが。
今度は乳製品の棚に貼り付いたカイトの背後に立って待つと
何やら体に秋波が巻きつく。
振り向かず、鏡面仕上げのステンレスの棚に映った背後を見ると
カゴを抱えた若い主婦達が‥‥若くないのも混じっているが‥‥
チラチラと視線を投げかけ、その顔には赤みがさして
鼻腔がふくらんでいる。
「なぁ、カイト」
「はい‥‥?」
お前、見られてるぞ。オバさん達に。
さすがに周囲を憚って言葉を切るが、カイトは手にした牛乳の
賞味期限のチェックに夢中だ。しかし会話が不自然に途切れた事に
気付いて振り返り、その目が言葉を待っている。
「‥‥右の一番奥」
ジンがボソリと呟くと、カイトは再び棚に向き直り
「あ、ホントだ。こっちは明々後日までだ」
そう言って、それをカゴに収めると真っ直ぐに次の棚へ向かう。
ジンは、また溜息をついた。
「これで全部か?」
「うーん‥‥はい‥‥」
「何だよ。欲しい物があるなら買え」
「いえ、あー‥‥全部です」
そう言いながら、長蛇の列のレジへと並び
程なく順番が来る。
「いらっしゃいませー。会員カードお持ちでしたらお出しくださーい」
レジの、恐らくはアルバイトであろうまだ幼い表情の少女が
ガシャガシャと音を立てながら台に置かれたカゴを移動させ
顔もあげずに機械的に言う。
「はい」
すでに手に用意していたカードをカイトが差し出すと、その声に
少女がハッと顔を上げ、あっという間に耳たぶまで真っ赤に染める。
このスーパーを度々利用するカイトは、すでにアルバイトの少女達の間で
噂の的なのだろう。今日は誰が担当するレジに並ぶのか。
その幸運が唐突に訪れてしまった少女は固まり、瞬きしかできない。
「あの‥‥?」
カイトが怪訝な顔でさらにカードを差し出すと、我にかえって
震える指でそれを受け取る。
「あ‥‥すみませ‥‥」
消え入るような声で謝り、商品をレジに通すが
手が震えて上手くいかず、何度もやり直す。
隣のレジからは険のある中年女性の声が聞こえる。
「ちょっとアンタ、間違えてばっかりじゃないの!
早くしなさいよっ!」
あちらの少女も、カイトに見惚れて手元がお留守になったのだろう。
カイトに並んで立ち、体中にぎっしりと巻きついた女達の視線に
ジンがいい加減うんざりした頃(実はその視線の半分はジンに向けられた
ものであったが)、やっと全ての商品がチェックされたようだ。
「17‥‥863ジェニーです‥‥」
モジモジと両手でエプロンを握りしめ、顔も上げられない様子は
見ているジンの方がもどかしくなる。
何か言ってやればいいじゃねぇか‥‥。
そう思いながらカイトを見ると、財布に指を突っ込んでジャラジャラ
やっている。そしてちょっと顔をしかめると、ジンを見上げて
こう言った。
「‥‥ジンさん、1ジェニーありますか?」
ジンは、その日3度目の溜息をついた。
「あの店、安くていいんですけどレジが遅いんですよね」
店を出た後、両手いっぱいに買い物袋を抱えたカイトが不満げに言う。
こいつ‥‥あの露骨な態度や視線に全く気づいてないのかよ。
ジンは呆れて返事をする気もおきない。
‥‥女には、全然興味無ぇのかな‥‥。
ふと頭に浮かんだ疑問が後を引いて膨れ上がり
やがて憂いとなって今日に至っていた。
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