悲しい夢T 〜ジン=フリークスの場合〜
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目の前に彼が居る。ひどく唐突な気がした。いつから自分は彼を見ていた? 無意識とはいえ軽はずみな真似をしたものだ。恥ずかしげもなく凝視して。この視線に彼が気づかなかったのは幸運だが、慌てて顔をそむければ、きっとその不自然さに気づく。
 ゆっくりと慎重に顔を伏せ、上目遣いに盗み見る。頬杖をついた横顔。結んだ口元。書類を繰る指先。その全ての感触を知っている。見つめれば、胸の底が揺れる。誰を見ても、何をしても、決して揺れる事のない部分が滑稽なほどに揺れてざわめく。振動がさざ波のように空気を伝って彼に届く。僅かに眉が上がる。ゆっくりと顔を上げる、その直前に目をそらした。

「‥なぁーカイト」

「‥‥はい」

甘えた声に、気の無い返事。この呼び方はメシかな。

「腹へった」

「あ、はい。おやつですか、メシですか」

「いい歳の男がおやつとか言うなよ。恥ずかしい奴だな」

「‥‥すみません。チョコでいいですか」

「チョコねぇだろ。いいよ、今朝の残りで」

チョコが無いということは無いだろう。彼の好きなものは、いつも冷蔵庫に常備している。けど、甘いものよりメシがいいのかな。今朝の残り? 今朝は俺、何作ったかな‥‥。 何だか最近、物忘れが多い気がする。俺も歳かな?なんだか霞がかかったように頭がぼやけて、決まってジンに声をかけられ我に返る。

(ジンさん、目ざといからな。気をつけねぇと、あんまりボケてたらその内ブン殴られるな)

思いながら冷蔵庫を開け、中を覗き込む。余った卵やベーコンを適当にパンに挟んだのがラップにくるまっている。

(‥‥あぁ、これ。バカだな。ホントに呆けちまったのか?)

卵を焼いたのもベーコンを切ったのも確かに自分だ。探したが、チョコもなかった。自分がチョコを切らすはずはない。大方、昨日の夜中にジンが食べてしまったのだろう。また買っておかなくては。そういえば、前に買い溜めしたのはいつだっけ‥‥?大分前な気がするが‥‥。

「コーヒーもー」

「あぁ、はい」

ヤバいヤバい。またボンヤリとしていた。ジンに言われなければコーヒーも淹れられないのか。しっかりしろよ。これが大掛かりなハントの最中ならどうするつもりだ?
手早くコーヒーを淹れてサンドイッチの皿と一緒にリビングへ運ぶ。サンドイッチはちょうど2人前。上手いこと残っていたものだ。

「お、悪いな。お前も食うだろ?」

「うん、はい」

「卵の食うぞ」

「うん」

「‥‥半分食う?」

「いいですよ、食って」

「食えよ。ベーコンの半分寄こせ」

「‥‥あぁ、はい」

どうでもいいような会話を交わしながら頬張る。

「‥‥美味い」

「あぁ、美味いな」

自分の作ったものにわざわざ美味いだなんて変かな? 何だか久々にまともな物を食べた気がする。‥‥どうして?朝の残り物なのに? マヨネーズと野菜もはさまっている。後付の調味料が効いたのかも知れない。みっともないほどパクついていると、視線を感じる。見上げると食べる手を止めてジンが見ている。子供みたいにがっつく自分が急に恥ずかしくなった。

「‥‥なんすか」

「いや、美味そうに食ってるからさ」

笑いを貼り付けたジンの顔。少しも嫌味は感じない。

「美味いですよ」

「‥‥あぁ、美味いな」

言ったジンの言葉がこそばゆい。俺も俺なら、ジンさんもジンさんだ。こんな残り物のサンドイッチで何がそんなに嬉しいのか。馬鹿みたいに同じ会話を繰り返して、これじゃまるで初めて二人きりで食事する‥‥‥恋人同士みたいじゃないか。
顔が赤らむのを感じたけれど表情だけは変えずに最後の一欠片を口に放り込む。それ程空腹でもなかったが、満たされて急に眠気が差してきた。

「眠かったら寝ろよ」

「‥‥‥」

声に出さずに笑う。

「何だよ、何か変なこと言ったか?」

「‥‥昔、ジンさんによく怒られたなと思って。食ってすぐ寝たらさ」

「あぁ、お前はガキだったからな。大人はいいんだ。食ってすぐ寝ても」

ムチャクチャ言ってるな‥‥。
やっぱり声には出さずに笑って深々とソファにもたれた。手足の力を抜くと体が軽くなる。ズルズルと上体が傾いだ気がするが急激に睡魔に飲み込まれ支えきれない。呆けて、食って、寝て‥‥最近たるんでるけど、まぁいいか‥‥。だって何だか、ひどく疲れている。思考が薄れ、意識が遠のく。何もかもが心地よい。髪先から、指先から、暖かな部屋の空気に溶けていく。
ジンの匂いが染みついた、この部屋の空気に溶けていく‥‥‥‥‥。







カイトを形どっていた念が完全に消え去ると、ジンは両腕を開き、それを迎え入れる。慈しむように抱きしめ己の体へ戻す。目の前のソファには、もう誰も居ない。先ほどまでは確かに存在した、懐かしい香りさえ発していたその髪も。細い肩先も。

「‥‥俺も馬鹿な真似してるな‥‥‥」

一人きり、つぶやいて立ち上がる。マントをはおりバッグを担ぐと、うっすらと埃の舞う部屋を後にした。

end.                                           (041002)
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