「約束」-05 ------------------------------------------------------------------------ 森を抜け家に帰り着いた時、ジンは異変に気がついた。 まだ夜も早いというのに窓は真っ暗で、灯り1つ点いていない。 カイトはどこかへ出かけたのか? 確かに今日は遅くなると言って家を出たが、珍しい。 玄関で鍵を使うと逆に鍵がかかってしまった。 ということは、空きっぱなしだったということだ。 どこかに慌てて出かけたか。 携帯は通じたはずだが、連絡はなかった。 いや、出かけているのなら良いが‥‥。 意識を集中して、家中の気配を探る。 2階に、1人。 まず1階を確認する。カイトが倒れている姿を想像し、緊張が高まる。 灯りは点けずにリビング、ダイニングと進みちょっと目を見張った。 キッチンにはまな板が出しっぱなしになっていて その上にブツ切りの大根が乾いている。 食卓には朝食用の食パンの袋が、これまた口も 空けっぱなしに放り出されて何枚かパンが飛び出している。 どれもこれも、いつもカイトがきちんと洗うなり、口をしばるなどして 棚に整然と保管しているものだ。 ジンは警戒を深めた。 気配を消して階段を登るとドアの横に立ち、中の気配を探る。 ‥‥カイトじゃねぇか。 眠っている者のオーラでも、傷ついている者のオーラでもない。 しかしひどく乱れている。 何がなにやら分からずにドアを開けると、ベッドの上のカイトが 驚いた様子で身を起こした。 「おめぇ‥‥なにやってんだ?」 思わず素っ頓狂な声を上げる。 真っ暗な部屋の中で、カイトは服を着たままベッドにいて その顔は泥だらけだった。 「随分、早かったんですね」 質問には答えず、むっつりとカイトが言う。 相当おカンムリなご様子だ。 「ああ、まぁな。案外簡単な‥‥いや、それよりも何があった?」 「別に、何も」 「何もなかったって状況でも顔でもないだろ」 「顔?」 「泥だらけだぞ」 言うと、カイトは慌てて自分の顔に手をやっている。 ジンは部屋の中に進み、ベッドの端に腰掛けた。 「誰かにやられたのか?」 「いや、そんなんじゃ‥‥」 そこまで答えるが、すぐにまた不機嫌な顔になって黙り込む。 ジンは溜息をついて立ち上がり 「別に言いたくないってんなら、無理に聞かないがな」 言い残し、カイトの視線を背中に感じながら部屋を出たが 5分も経たない内に、蒸しタオルを手に再び部屋に戻ってくる。 カイトはさっきの姿勢のままで、ベッドの端を睨みつけていた。 ツカツカとベッドに寄って、ドスンと腰掛けると カイトの顔をガシガシと拭く。 怒り出すかと思ったが、顔をしかめて大人しくしている。 ‥‥ったく、手間のかかるガキだ‥‥。 「言えよ。どこかに出かけたのか?」 「‥‥‥‥‥」 「否定しないってことは出かけたんだな。どこ行ったんだ?」 「‥‥‥‥‥」 「‥‥おいっ!」 怒気を孕んだ声を立てると、びくりと肩を震わせてうつむいてしまった。 眉を寄せ、見開いた瞳が波立つようだ。 噛み締めた唇も頬も、血のように紅い。 乱れた金髪が片肩に寄って、白いうなじが震えるのが見える。 頬に涙がないのが不思議な顔だった。 おいおい・・・・なんて顔しやがる。 俺以外の男の前でそんなツラしてみろ。 速攻、勘違いされて押し倒されるぞ。 そう思って、ふと疑問を感じる。 俺以外、の? 俺は何故、その中に含まれないんだ? 俺は勘違いしちゃいけないのか? そしてそれは、本当に勘違いなのか・・・・? ジンが呆然と眺めていると、それを返事の催促と受け取ったのか 嫌々という風にカイトがぽつり、ぽつりと話し出す。 「アヌイ原生林に‥‥ハントの、練習に‥‥」 アヌイ?ああ、一度連れて行ったか。 確かあそこへ行くには、街の中心部を通り抜けて・・・。 「それで、捕まえようとした獲物に逃げられて ムシャクシャして。それから‥‥」 カイトが顔を伏せて、考え考え嘘をつくのを、後半はもう聞いていなかった。 思い当たる節は、大アリだ。 ‥‥そっか、そういう事か‥‥。 それでいいんだよな、カイト。 俺の勘違いかもしれないが、だとしたら勘違いさせた お前が悪いんだぜ。 汚れたタオルをサイドボードに放ると、改めてカイトの方に向き直る。 ガキだ、ガキだと思っていたが‥‥。 まるで初めて会う少年を見るようにカイトを眺める。 年の割りに長身で、あと2、3年もすれば 自分と同じ目線になるだろう。 体は相変わらず白く細いが、胸も肩もしなやかな筋肉が張りつめて 決して薄くはない。すっきりと両肩に伸びた鎖骨が 筋骨の逞しさを物語っている。 お前のことを見ているようで、見えてなかったんだな。 ほんの数分前まで、ジンの知るカイトはアバラ骨を浮かし 手足を真っ黒に汚したガキで、その目はいつも不安げだった。 とはいえ一緒に暮らして3年近い。 カイトの横たわるベッドの軋みが日に日に大きくなるにつれ 目をつむっても寝付けない夜が幾度かあった。 しかしその度に瞼の裏に映るのは、出会った頃のままの カイトの姿で、無体な事をすれば折れて砕けて消えてしまいそうな 不安を感じ、思いとどまった。 ‥‥そんな夜とも、やっとおさらばだ。 手を伸ばし、カイトの頬に触れると 身じろぎにもせずに、まっすぐにジンを見つめる。 そんな目で、俺を見るなよ。 照れちまうだろ。 手を頬から耳元に移し、ゆっくりと引き寄せる。 何か言いたげに開いた唇に、そっと口付ける。 カイトの体がみるみる強張る。 顔を離すとさっきまでの強気な表情はどこへやら。 ジンは黙ってカイトの背中に手を回し、ゆっくりと横たわらせた。 「ジンさん‥‥」 かぼそい声は、哀願するようだ。 小刻みに呼吸して、脅えた瞳をジンから逸らせないでいる。 「ん‥‥?」 ベッドに横座りしたままカイトの顔の横に手をついて 上から覗き込むようにしてジンが答える。 「どうした‥‥怖いか?」 空いた手で、優しくカイトの髪を梳る。 ジンの問いに返事はないが、戸惑いと困惑の色は隠せない。 「お前がどうしてもと嫌がることなら、俺はしない。 だけどな。俺も男だし、我慢するのは得意じゃない。 だからよく考えて言ってくれ。・・・嫌か?」 そう聞いてはみたが"嫌だ"と答えられて 自分がどうするかなど、これっぽっちも分からない。 「‥‥そんな事、急に‥‥」 切羽詰った声が答える。 だがもう、可哀想とは思わない。 「急にじゃ、ないだろ? そうじゃなかったはずだぜ」 低く言い切った後、もう一度唇を合わせる。 今度は長い、長い、長い口付け。 無理に舌を入れたりはせず、その上唇を下唇を 脆いガラス細工を扱うように絡め取る。 再び縮こまる体の首に肩に胸に、決して急がない指が滑る。 ジンの肩口の袖を固く掴むカイトの手が その体をいつ引き離そうと迷うように震えている。 しかし気づかぬうちに上衣は乱れ、 素肌に直接ジンの手の温もりを感じた時に カイトはゆっくりと目をとじて、握り締めた拳をゆるめた。 ジンさんは‥‥‥‥優しかった。 何もかもが曖昧な時間が過ぎる。 ジンの優しさのほんの一端を垣間見ただけような その奥底まで覗き見たような。 嵐に舞い上がる木の葉のように翻弄されているような しかし自らの意思で自在に泳いでいるような・・・。 逆らわずに流されて、突然あたりが真っ白にスパークし 気が付くと闇の中だった。 目を閉じたまま、ゆっくりと意識が浮上する。 この静かな夜に、ジンと自分以外の人間が地上に存在するのが 不思議であった。 肩の下に回された腕の温もりが、この世で唯一の熱に感じられて 安堵した。 うっすらと目をあけても焦点は定まらず、ジンの指が 額にかかった髪をすくうのがこそばゆい。 「‥‥気づいたか? 死んじまったかと思って、焦った」 たゆたう意識の中で、ジンの声を聞く 「俺は‥‥死んだり、しませんよ‥‥」 「‥‥そうなのか?」 ジンの笑いを含んだ声が、ずいぶん遠い。 「ジンさんを‥‥遺して、なんて‥‥。 ジンさん‥‥俺がいなかったら‥‥いたんだ物でも、へいきで、食べて‥‥」 「そうだな、そうだったよな。じゃあ、約束な‥‥。 俺よりさきに、・・んだりしな・・って‥‥」 途切れて遠ざかるジンの言葉に、しっかり頷き返したつもりだったが 急速に意識は沈みゆき、果たしてそれは伝わったのか。 「‥‥約束な」 もう一度ジンがつぶやいた時、カイトは静かな寝息をたてていた。 →Next/おまけ ------------------------------------------------------------------------ ブラウザ back